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随想――京都における地蔵信仰 (2)

    寺檀関係に縛られない仏教信仰は、しなやかである
                          村 雀  渉

1.奥州平泉、現岩手県西磐井郡平泉町に藤原氏三代が都の平安文化を導入し、皆金色の浄土を再現した伽藍があった。中尊寺、毛越寺、観自在王院などの諸堂は戦乱や火災で失われ。中尊寺の金色堂他数棟を残すだけである。

 その金色堂の三基の須弥壇の仏像配置は中央奥に阿弥陀如来、その左右に観音・勢至の二菩薩。二体の天部像がある。ところが檀の左右には地蔵菩薩像が三体ずつ六体並ぶ。

 その解説で「浄土宗にこのような仏像の配置はなく平泉独自である。これは貴族たちに浄土信仰が広まった時代でも一般の人々、まして辺境の民は仏教の教えにふれることも、読経・写経・造仏・造寺などの功徳を積むこともなく、死後は地獄に落ち六道を彷徨し、極楽往生も叶わない。これらの民を救うことができるのは地蔵菩薩の力のみ、という思想だ」と聞いた。

 末法、浄土往生などの思想が広まる平安時代末期から地蔵信仰も盛んになる理由の一つだろうか。

2.京都の小地蔵堂には土台に卍(まんじ)紋が入り、正面の幕や提灯にも紺地に白で卍紋を入れた物が多い。卍紋は新石器時代以来世界各地で使われた吉祥模様で、中国では唐時代に文字として採用、日本では仏教を象徴する記号として地図の寺院記号にも使われている。

 ほとんどの小地蔵堂は普通の卍であるが、希に裏返しの「逆卍」を付けたお堂もある。寺院の卍記号がナチスの鍵十字を想起させるとユダヤ人団体から批判されていると聞くが、「地蔵卍」とも言われるこの紋は京都では普通に使用されている。



3.地蔵菩薩に関する経典は『地蔵菩薩本願経』『大乗大衆地蔵十輪経』『占察善悪業報経』などがあるが、日本で広く読まれた経典は『仏説延命地蔵菩薩経』である。ただし「不空三蔵 奉詔訳」とあるが偽経、日本撰述経典である。成立は14世紀頃とされ、鎌倉新仏教の興隆期というのと関係するのかも知れない。

 最初は定石通り「信・聞・時・主・処・衆・・・」の記述で、「如是我聞 一時仏 在佉羅陀山(からださん) 與大比丘衆万二千人・・・」と始まり、釈尊が地蔵菩薩について説明、その法力と功徳、女人安産・無病息災・延命長寿・子孫繁栄・商売繁盛などのご利益を述べると、地下から趺坐した延命地蔵菩薩が現れる。が、このあたりで『無量寿経』のような記述が出てきたり、地蔵に折伏される物に「天狗」「土公」「大歳神宮」などが出てきたりするので???となる。

 現在も寺院で頒布されている『仏説延命地蔵菩薩経』は折本で、この経の漢訳(?)、般若心経、その両経の読み下し文、地蔵和讃。西院河原地蔵和讃、勤行式などを載せている。


4. 京都の地蔵菩薩の石仏とその信仰形態については民俗学の報告書、歴史研究書から趣味の地蔵めぐりまで多くの文献がある。その一つ、村上紀夫『京都地蔵盆の歴史』(法蔵館2017)に、地蔵堂弾圧の話がある。

 明治5-16年に府知事が「盆行事、六斎念仏等の禁止、交通の妨げとなっている辻地蔵堂の廃棄」を命じ、江戸時代の辻番所、町木戸とともにその脇の地蔵堂も破却されたと言うのである。石仏は寺院が引き取り、京都市街地の寺院敷地内の石仏にはこの時のものが多いと言う。

 その一方で禁止期間中に石仏や小堂を辻の奥に隠したり、個人の家で引きとったりして密かに盆行事を続けたという例もあったという。文明開化の時代、逮捕者や殉教者が出たとは記されておらず、布告の撤廃で多くの小地蔵堂は移転して復活、江戸時代まで町内の大人の行事だった「地蔵盆」は子供の行事に変貌していったらしいとか。
この禁止令と地下の信仰が続いていたらどうなったのだろう。隠れキリシタンならぬ「隠れジゾウスタン」か。

5. 京都市上京区千本上立売に石像寺(せきぞうじ)がある。鎌倉時代元仁元年(1224)銘の阿弥陀三尊石仏(重要文化財)があるが、本堂は地蔵堂で、伝弘法大師作(唐より将来とも)の地蔵尊を祭る。地蔵堂の板壁に鉄釘二本と釘抜きを付けた奉納絵馬がびっしり貼られており、「釘抜き地蔵」の別名で知られている。

 寺伝に「16世紀、京都の大商人紀ノ国屋道林なる者が両手の痛みの治癒を祈願したところ、地蔵菩薩の夢告で、前世に人形に釘を打って人を呪詛した因縁である、と告げられた。地蔵堂に行くと八寸釘二本があり、手の痛みは消えた」と言う事があり、以後病気平癒を祈り快癒したものは釘と釘抜きを奉納するのだとか。

 境内には阿弥陀石像の堂の他、弘法大師堂、石造の地蔵、不動、観音。それに延命地蔵の銅像なども並んでいる。
ちなみに地蔵信仰と地獄信仰は関係が深いが、千本通りを少し上がる(北上する)と室町時代の閻魔大王像で知られる引接寺千本閻魔堂(せんぼんえんまどう)がある。


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